イーエクスナニワ物語(最終回)~第1号代理店~
今回は、あるメーカーさんの誕生とイーエクスナニワとのご縁のお話です。
突然の発表
昭和49年5月のゴールデンウィーク後、帝都建鉄(前回のコラムを参照ください)の全国代理店会の席上で、突然、同社の社長より、杉本専務と営業部長、営業次長の3名は前日に退職したと発表され、それ以上の説明は一切ありませんでした。退職された3名の方々はすべてそれまで同社とナニワとのパイプ役を担って下さっていたので、私は「これは困った事になる」と心配でしたが、帝都そのものは業績も順調で、今すぐ3名の幹部がいなくても大丈夫だろうと思い、しばらく取引を続けておりました。
昭和49年クリスマス頃、杉本専務他3名が弊社に来られ、「縁あって東洋サッシさんのバックアップによりエクステリアの新会社を作ったから代理店になって欲しい」と申し入れがありました。
東洋エクステリア代理店第1号 その新会社『東洋エクステリア』のメンバーは、当時東洋サッシ㈱の潮田社長が兼任で、杉本専務、旧帝都の幹部や東洋サッシの出向社員(東洋エクステリア渡邊元会長もそのおひとり)でした。 代理店になってほしいと申し入れを受けた時、私個人としては即受ける腹を決めましたが、一人の経営者として、これを受けてうまく行かなかった時のこと、また帝都の攻勢なども慎重に検討する必要があったこと、また社内の幹部の意見も聞く必要があったので、年末の事でもあり、年が明けてから返事をするということにしました。
正月過ぎに、杉本専務以下3名の方に自宅までお越しいただき、代理店になる事を申し上げたところ、大変感激され喜んで帰られたことが昨日のことのように思われます。 それから、すぐに新会社の責任者、潮田社長と杉本専務他3人と大阪のホテルでお会いし、潮田社長の立派な人柄に100%信頼し安心して契約を致しました。
結局関東をはじめ各地の代理店は帝都の影響を考え、どなたも代理店にはなりませんでしたので、大阪のナニワスレートが東洋エクステリアの第一号代理店となったのです。
苦楽をともに
しかしそれからが大変でした。
まず、帝都の営業マンがナニワの得意先を徹底して廻り始め、3月一杯で帝都から商品が入らなくなり、肝心の東洋エクステリアさんの商品も当初は欠品が多くありました。それに東洋商品の入替えの為、引き取り商品の保管や不良品の商品の処理等など問題が山積し、その処理の為に大和川工場の土地を半分売却したほどでした。
東洋エクステリアさんは3年程、大変な苦境に立たされていたと思います。弊社も苦しいながらもともに頑張る気持ちで必死でやっておりましたが、そのうちサッシ形材利用によるアルミ製の門扉、フェンスが出るようになりました。
はじめは、アルミは弱いとか色々言われておりましたが、段々と扱いやすさが認められると同時に、東洋エクステリアさん、また私ども代理店の会社経営も徐々に軌道に乗り始めました(一方で皮肉なことに、帝都建鉄は東洋エクステリアさんが誕生して4年目の昭和53年に倒産しました)。
その後、東洋エクステリアさんではどんどんと売れ筋商品が開発され、急速に伸びていかれました。その辺りは、皆様がよくご存知かと思います。
現在では私どもも、東洋さんのみならず、国内の主要メーカーさんの商品をほぼすべて取り扱い、加えて「オンリーワン」などのオリジナル商品への取り組みもお蔭様で好評いただいております。 スレートからはじまり、ブロック製造、そしてエクステリア商社へと時代と共に変化してきた弊社ですが、常に良いものをお届けするという姿勢は、これまでも、そしてこれからも変わることはございません。今年60周年、人間では「還暦」を迎える弊社ですが、これからも成長してまいります。どうぞ今後もイーエクスナニワにご期待ください。
6回に渡ってお送りしました、創業者上田清(現相談役)によるコラムは今回で終了します。ご愛読ありがとうございました。 来月からも楽しい企画をお届けします。お楽しみに。
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